プロフィール

加藤鮎子(かとうあゆこ)

2013年6月の後援会発足以来、加藤鮎子(かとうあゆこ)は故郷(ふるさと)の未来を明るくしたいとの思いを胸に各地を隈なく歩き、多くの皆様のお声を聴いて参りました。
地域の現状を目の当たりにするにつけ、私は、地方の活力なくして日本が真に豊かになることはあり得ないと、改めて確信いたしました。

お年寄りが安心して暮らし、子供たちの笑顔が溢れ、若者が夢と希望を持てる社会を、この地元から実現したい。
若さを活かし、地元の皆様のために全力を尽くして参りますので、どうか温かいご支援をよろしくお願い致します。

かとう鮎子(自由民主党 衆議院議員・山形県第三選挙区支部 支部長)

住所
山形県鶴岡市大東町17-23
出生
同上 昭和54年生まれ
学歴
慶應大学法学部卒
米国コロンビア大学院修了:国際公共政策(経済)修士
職歴
株式会社ドリームインキュベータ—(経営戦略コンサルティング)勤務
衆議院議員 野田聖子秘書
財団法人日本国際交流センター勤務
PFC(株)(組織開発コンサルティング)勤務
前衆議院議員加藤紘一秘書
衆議院議員
家族
両親・夫・長男(4歳)
趣味
ダンス、バスケットボール
好きな言葉
至誠、天に通ず

加藤鮎子(かとうあゆこ)は鶴岡市大東町在住。夫、4歳の息子と暮らしています。

男の子にも負けない活発な子供でした

加藤鮎子(かとうあゆこ)は男の子にも負けない活発な子供でした▲幼少時代、父と兄弟と(右が加藤鮎子[かとうあゆこ])

幼稚園や小学校の頃は、とにかく元気で冒険心が強く、誰とでも仲良く遊べる子供でした。
3歳の頃、家を勝手に抜け出し旧朝陽第2小のグラウンドで遊んでいるのを、姉の友達から発見されたこともあったそうです。
小学校では、校庭でドッヂボールをしたり、ザリガニ釣りに行くのが好きでした。男の子っぽい子供だったと思います。
普段はズボン姿なのに、卒業式でスカートを履いていったら、「加藤が女装してきた」といわれたくらいです。

中学校の3年間は、バスケットボールに夢中でした。
小さい頃から球技が好きだったのと、練習が厳しい部活だったので、そこで頑張ってみたいと思ったのです。
仲の良い友人とバンドを組んで、体育館で演奏したりもしました。

政治を身近に感じて過ごした、子供時代

物心ついた頃から、茶の間でくり広げられる政治談議を耳にしてきました。
祖母や両親はもちろん、父を支えてくださった方々、近所のじじちゃん、ばばちゃん・・様々な人が日夜出入りしては、いかに地域を良くしていくかを熱く語り合っていました。

故郷や国の未来は、待っていれば誰かが何とかしてくれるのではなく、自らが率先して守り、変えていくものなのだと、ごく自然に捉えるようになりました。
また、故郷の多くの人から信頼される父を見て、政治家という仕事に特別な親しみと敬意を持つようになりました。

海外生活で、自分の価値観が大きく変わりました

加藤鮎子(かとうあゆこ)は海外生活で、自分の価値観が大きく変わりました

高校入学後、最初の1年間は米国カリフォルニアに留学をしました。
子供の頃から自分の意見はきちんと伝えたいタイプで、日本にいる間は口達者に発言をしていたんですが、言葉が通じないアメリカでは当初なかなか自分の意見を伝えられず悔しい思いをしました。

しかしそれは同時に、意見を持っていてもうまく表現できない人の気持ちに気付くことができた、良い学びでもありました。
寮生活の中での色んな国籍の友達との触れ合いを通じて、自分は「日本人」であるということを強く意識するようになりました。
勝手に、日本代表のような気持ちになっていたのかもしれません。
祖母から送ってもらった食材で、お味噌汁やオニギリを作ってアメリカ人のルームメイトと食べるのが楽しみの一つでした。

政治家を志し、学んでは悩むということを何度も繰り返しました

加藤鮎子(かとうあゆこ)は政治家を志し、学んでは悩むということを何度も繰り返しました

加藤鮎子(かとうあゆこ)が政治家を志し始めたのは、高校3年生の頃です。
どういうわけか、担任の先生や友人たちから、「鮎子は絶対政治家になるべきだ」とよく言われていました。
大学で法学部を選んだのも、そのためです。

しかし、法律の勉強を進めるにつれ、机上の条文にあまり興味が持てない自分に気がつきました。
もっと実社会のことを知らなければと思い、勉強と並行してアルバイトをかけもちしたり、大人たちと一緒に政治活動をする学生グループに参加したりしました。

地方の声が届かない政治の現場を見た、秘書時代

野田聖子衆議院議員と加藤鮎子(かとうあゆこ)▲野田聖子衆議院議員と加藤鮎子(かとうあゆこ)

政治の現場をこの目で見るため、衆議院議員野田聖子事務所に飛び込みました。
入所後しばらくすると、日本は郵政選挙に突入しました。
地方の疲弊に追い打ちをかけるような民営化政策。
「自民党は、こんな党ではなかったはずだ」・・・野田代議士は、岐阜有権者の声を届けるため断固として反対を貫きました。
地方の声とは乖離してくり広げられる永田町の政争。

芯の強い政治家がいなければ、故郷は守れないことを痛感しました。

憧れから使命感に変わった、留学時代

コロンビア大学同窓の小泉進次郎議員と加藤鮎子(かとうあゆこ)▲コロンビア大学同窓の小泉進次郎議員と

故郷を守るためにまず、世界の潮流をつかもうと、米コロンビア大学に留学し、国際経済政策を学びました。
誰も止めようのない、経済のグローバル化の流れ。
その傍らで、地球上に無数にある文化の多様性が失われる危険、そして、このままでは日本の地方都市の未来が危ないという事実。
危機意識を募らせました。

競争原理だけでは、地域のコミュニティは守れません。
地域のコミュニティは、私たち心の拠り所であり、ふるさとの活力であり、国の土台を強くする力があります。
ましてや、おそいかかる未曾有の少子高齢化問題。
30年後の故郷が危ない。その危機感から、改めて国政への思いに奮い立ちました。

いきいきと暮らせる地域社会をつくり、地元から日本を豊かにします

いきいきと暮らせる地域社会をつくり、地元から日本を豊かにします

先細りが懸念されている日本経済ですが、元をたどると労働人口の減少、さらには根っこには少子化という問題があります。
短期的には経済回復のため、長期的には労働人口問題解決のために、女性が働きながらたくさんの子供を育てられる仕組みが必要だと私は考えます。
そのような仕組みを、まずはここ山形で実現したい。
そうすれば地域に少しずつ活気が戻ってくるはずです。

さらに、お年寄りが安心して暮らせる仕組み、若者が夢と希望をもてる仕組みをつくり、地域を盛り上げていきたいと考えています。
全国の地域の一つひとつを盛り上げることこそ、豊かな日本をつくることだと加藤鮎子(かとうあゆこ)は確信しています。